貴殿のふとした疑問に答えるブログ

ふと疑問に思う「なぜ?」「どうして?」「〇〇って何?」に答えるブログです。

大名が国替えのとき、どうやって引っ越しをしたの?

写真はwikipediaから参照 姫路城

江戸時代において、大名たちはずっと同じ場所にいたわけではありませんでした。徳川幕府の命令によって藩の引っ越しが行われました。現代でも引っ越しをするさい、手続きや荷造りなどかなりの労力が必要となります。それが藩全体となると比べ物にならないほど大きな負担となったに違いありません。例えると、大企業の社員とその家族が同時に引っ越すようなものです。では、大名たちはどうやって引っ越しを行なっていたのでしょうか。

 

まず、なぜ引っ越しが行われたかというと、徳川幕府が大名たちの力を弱めることを目的に国替えをさせました。転封とも呼ばれています。藩の規模にもよりますが、藩士とその家族が引っ越すとなると、今の貨幣価値にすると10-20憶円にも及んだと言われています。人数も約1万人が移動したようです。

 

しかし移動の前に、荷造りが必要です。場内にある諸道具や帳簿類などをそろえなければなりません。そして新たにやってくる城主に引き継ぐための準備もしなければなりませんでした。

 

続いて移転先での打ち合わせです。どのくらいの規模で、家臣たちの入居する屋敷を確認しなければなりません。そして移転先の家臣が家を空けていてくれなければ、出発しても落ち着く場所がありませんので、いつ頃入居できるかの確認も行いました。

 

手続きや確認が整ったので、いざ引っ越しを行なうという段階でも苦闘は続きます。なぜなら、現代のように引っ越し業者がいるわけではないからです。荷車を引いて山道や峠を何百キロも歩かなければならなかったのです。車や鉄道が無い時代だと、道中もかなりの負担があったことでしょう。たくさんの人が移動するので、道中では宿の手配もしなければなりません。また道中では雨風にさらされたり、強い日差しを浴びたりして病気になった人もいたようです。

 

国替えというのは、参勤交代の比ではない苦労があったに違いありません。ちなみに、映画にもなりましたが、引っ越し大名とも言われた松平直矩(まつだいら なおのり)は計7回も国替えを命令されています。越前国大野藩(福井)、播磨国姫路藩(兵庫)、越後国村上藩(新潟)、播磨国姫路藩(兵庫)、豊後国日田藩(大分)、出羽国山形藩(山形)、陸奥国白川藩(福島)の7つです。こりゃたまったもんじゃないですね…

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