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日本経済に蚕がもたらしたものとは?

蚕の繭(まゆ)と絹糸

皆さんは蚕(かいこ)というものをご存知でしょうか。若い人はそれが何なのか知らない方も多いのではないでしょうか。蚕というのは蛾の幼虫のことで、蛾は外にたくさん飛んでいますが、蚕は成虫になっても飛ぶことができません。なぜなら、この蚕というのは人間が飼い慣らした虫で、数千年かけて家畜化したものなのです。そして、この蚕から吐き出された糸が絹糸(シルク)になります。

桑の葉を食べる蚕

絹はつやつやしていて、肌触りも良い糸ですよね。それゆえシルクは「繊維の女王」と呼ばれています。日本は古くから蚕の飼育と絹織物の生産を行なってきました。日本で養蚕が始まったのは1~2世紀と言われており、中国の「魏志倭人伝」という文献には、邪馬台国の卑弥呼が魏(現在の中国)の皇帝に絹を献上したと書かれています。昔から養蚕を行なってきただけあり、日本は養蚕業に長けているのです。

 

江戸時代は鎖国をしていたため外国との貿易はほとんどありませんでしたが、幕末にペリーがやってきたことがきっかけに欧米諸国と貿易が盛んになりました。そして明治時代になると、西洋の産業革命によって機械化された綿織物が日本にも流入し始めました。これに対抗するために、日本政府は蚕業の近代化と絹織物の品質向上を図っていったのです。

 

明治39 (1906) 年には、生糸の輸出量で中国を抜き、世界最大の生糸輸出国となりました。また、明治初期には、フランスやイタリアの養蚕業が微粒子病の流行によって衰退していき、清(中国)は西欧列強からの侵略に見舞われていたため、日本は蚕種を大量に輸出しました 。

 

その結果、日本の絹織物は高いシェアを持ち、質の面でも高い評価を得るようになりました。明治時代から昭和初期にかけて輸出品として大きな収入をもたらしたのです。この期間中、生糸は日本の輸出品の約40%に達していました。特に、第一次世界大戦後から第二次世界大戦前までの間は、日本の絹織物はアメリカやヨーロッパの市場で圧倒的なシェアを占め、日本経済の発展に貢献していったのです。生糸の輸出で得られた外貨は、主に欧米からの工業製品や機械の購入に充てられ、日本の近代化、工業化の基盤となりました。

 

しかし、第二次世界大戦後は、合成繊維や化学繊維の発達によって、絹織物の需要が減少していきます。また、中国やインドなどの発展途上国が安価な絹織物を生産するようになり、日本の絹織物は国際競争力を失っていきました。そのため、日本では蚕業や絹織物工業が衰退していき、多くの人々が失業していったのです。

 

現在では、日本の絹織物は高級品として扱われることが多く、伝統的な技術や文化を守るために努力されています。このように、明治時代以降の日本経済において、養蚕は大きな役割を果たしていったのです。

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