貴殿のふとした疑問に答えるブログ

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織田信長に仕えた黒人って誰?

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戦国時代で一番有名な武将といえば皆さんご存知の織田信長です。家臣には羽柴秀吉(豊臣秀吉)、柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益などそうそうたるメンバーを抱えています。そんな中、名前はさほど有名ではないがある意味で有名になった人物がいる。その名は弥助(やすけ)です。

 

どこにでもいそうな農民のような名前ですが、もとは黒人奴隷でした。弥助に関する資料は少ないのですが、当時の資料にははっきり彼のことが書かれています。ポルトガル領東アフリカ(今のモザンビーク)出身で、宣教師所有の奴隷として、戦国大名・織田信長への献上品とされましたが、信長に気に入られて、織田家家臣に召し抱えられています。奴隷から家臣ですのでかなりの出世ですよね…。

 

当時の日本には中国人や朝鮮人、宣教師として欧米人(白人)がいましたが、黒人はとても珍しかったので多くの見物人が弥助を見に来たといいます。初めて黒人を見た信長も、肌に墨を塗っているのではないかとなかなか信用せず、着物を脱がせて体を洗わせたところ、彼の肌は白くなるどころかより一層黒く光って驚いたようです。

 

「家忠日記」によると、弥助の身長は六尺二分(182㎝)とありますから、当時の日本人からしてみれば大きな黒人の威圧感や存在感は際立っていたでしょうね。信長も弥助の背丈や体格、肌の色に畏怖の念や敬意を抱いたと言われています。だからこそ家臣に取り立てたんですね。

 

さて、弥助が信長に仕えたのは1581年です。信長が明智光秀の謀反によって本能寺で自害したのが1582年ですので、弥助が信長に仕えたのはたった1年であることが分かります。また本能寺の変があった時も弥助は信長に仕えていたと記録されています。

 

明智光秀が攻めてきたときに、弥助は本能寺から抜け出し信長の後継者の織田信忠がいる二条新御所に行って異変を知らせ、その後、明智軍と戦っています。しかし明智軍に敗れてしまったので投降して捕縛されてしまいました。だが日本人では無いことから処刑を免れて、一命をとりとめています。

 

その後の弥助の消息は資料が無いので分かっていません。再びイエズス会宣教師の護衛を務めたか、他の大名に仕官したか、はたまた船員や海賊となったかは神のみぞ知るということですかね。

 

戦国時代が好きな方なら弥助を知っているかもしれませんが、知らない人が大河ドラマなどで弥助を見たら「なんでここに黒人がいるんだよ!」ってなりそうですね。

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