貴殿のふとした疑問に答えるブログ

ふと疑問に思う「なぜ?」「どうして?」「〇〇って何?」に答えるブログです。

自分の亡骸を花火でぶっ放した男 “十返舎一九”

「十返舎一九(じっぺんしゃいっく)」という人物をご存知でしょうか。名前なら聞いたことがある、という方も多いでしょう。なんか変わった名前ではありますが、これはペンネームで、本当の名前は重田貞一(しげたさだかず)と言います。

 

彼は作家で、有名なものとして「東海道中膝栗毛」があげられます。弥次さん・喜多さんのコンビが繰り広げる珍道中を書いた作品です。この「膝栗毛」とは、自分の膝を栗毛の馬の代わりにして旅をするという意味で、言ってみれば徒歩で東海道を旅するという意味になります。

弥次さん 喜多さん

今のように娯楽が少なかった江戸時代において、この「東海道中膝栗毛」は大ヒットします。1802年に初版を出し、21年にわたって続編を重ねたベストセラー作品です。当時の江戸町人独特のユーモアと風刺で彩られた滑稽本の傑作となっており、大人気作品になったのです。

 

十返舎一九とはどんな人物だったのでしょうか。生まれは駿河国(今の静岡県)で、その後江戸に移り、滑稽本、読本、人情本、咄本とあらゆるジャンルの作品を書き、加えて挿絵も描くというマルチぶりを発揮した人でした。執筆料だけで生計が成り立ったということで、日本初のプロ作家となっています。

 

彼は色事をたしなみ、酒と旅が好きで、お金をたくさん使い、気前よくおごるというスケールの大きい人であったようです。そのため家計は楽ではありませんでした。生活資金を得るために家財道具を質屋に入れたため、壁には家具を描いていたという逸話も残っています。

 

晩年は、脳卒中の後遺症や眼病によって体が不自由になってしまいます。それでも67歳で亡くなるまで本は刊行され、このエンタメ作家は最後まで江戸っ子たちを楽しませました。

 

さて、今回の本題はここからです。十返舎一九らしさを発揮したのは死後です。遺言として「自分が死んだら亡骸は火葬してくれ」と言い残します。その遺言に従い棺に火を点けたところ突然爆発が起こり、花火が舞い散りました。棺の中には遺体と大量の線香花火を入れた袋が仕込まれていたと言います。棺から花火が上がるという前代未聞の出来事に、弔問客は驚いて腰を抜かしたと言います。亡くなった後も人を楽しませようという彼らしさが出た最期でした。

 

この逸話は、落語家の初代林家正蔵(1842年没)が作った噺という噂ですが、実際のところはどうなんでしょうか。

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