貴殿のふとした疑問に答えるブログ

ふと疑問に思う「なぜ?」「どうして?」「〇〇って何?」に答えるブログです。

“成城“が高級住宅街になったのはなぜ?

成城。どこにあるかは分からなくても、名前は聞いたことがあるという人は少なくないでしょう。成城といえば高級住宅街のイメージを持たれる方も多いですし、学校がたくさんあることでも知られています。今回は、なぜ成城が高級住宅街になっていったのか考えます。

 

成城は、東京都世田谷区の地名で、小田急の成城学園前駅を中心とした地域になります。駅名にもあるように成城学園(中学・高校・大学)がこの成城にあります。ちなみに成城という地名は成城学園から取られています。成城は学園都市でもあり、大学1校・高校4校・私立中学2校・私立小学校1校、公立中学1校・公立小学校2校があります。

 

もともと成城学園が成城にやってきたのは1925年で、当時は雑木林が広がるのどかな場所でした。区画整理が行われ、1927年には小田急線の成城学園前駅が開設されます。しかし、高級住宅街ができるようになったのには1つのきっかけがありました。

 

1931年に植村泰二が成城に引っ越してきました。娘の泰子を成城学園に入学させるためです。この植村泰二という人は、東宝スタジオの創設者です。植村泰二が引っ越したのをきっかけに翌年東宝スタジオも丸の内から成城に引っ越してきました。このスタジオでは、「ゴジラ」や「モスラ」、「七人の侍」を始めとする黒澤明監督のほとんどの作品、「無法松の一生」「青い山脈」など日本映画を代表する名作が作られました。

 

成城にスタジオがあったのもあり、黒澤明や三船敏郎、石原裕次郎や勝慎太郎などの映画監督やスター達が成城に住み始めたのです。このように東宝スタジオの成城への移転によって、著名人が成城に集まってくるようになったのです。著名人たちは大きな家を構えますので、必然的に成城は高級住宅街になっていき、いつしか日本のビバリーヒルズとまで言われるようになりました。

 

そして成城のブランドイメージを維持するために、成城憲章(暗黙のルール)が存在しています。美観&景観を守るために、家の周りは塀ではなく生け垣にする、道を碁盤の目状に整備する、低層住宅地の保全、敷地内の緑の保全など、幾つかのルールを定め、住民たちも可能な限りこの憲章を守っています。

 

しかし、現在では単身者向けのアパートが建つなど、人々のライフスタイルの変化によって成城も変化していっています。成城憲章があっても法的な効力はないからです。元から住んでいた住人には街の変化に抵抗を感じるかもしれませんが、時代の波には抗うことは出来ません。高齢化や人口減少が進んでいる日本において、成城を含め、高級住宅街と言われる地域も少しづつ変化していくのかもしれませんね。

にほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
にほんブログ村