昔の人は貝をお金代わりにしていた、というのを耳にしたことがあるかもしれません。多くの人は、「なら海に行って貝を拾えば金持ちになれるじゃん」と考えます。なぜ貝はお金代わりとしていたのでしょうか。
貝をお金代わりに使っていたのを「貝貨(ばいか)(かいか)」と言います。実は、貝貨を使っていた地域はたくさんあり、アジア、アフリカ、オセアニア、アメリカなどで貝による売買が行われていました。中国では殷王朝の時代(紀元前16世紀頃)から貝貨が流通していました。
貝貨は、貝であれば何でも良かったわけではありません。多くはタカラガイという貝が用いられていました。形や色や模様がそれぞれ異なる自然物でしたから、価値の基準が曖昧になってしまうのでは、と感じますが大きさや見た目をランク付けして価値を持たせていました。
中国では銅銭が普及する前に、タカラガイという白くて小さな貝がお金として使われていました。このタカラガイというのはインド洋や太平洋の熱帯地方に生息する貝で、殷王朝の中心地だった“中原”は内陸部にあり、タカラガイを簡単に手に入れることは出来ませんでした。そのため、タカラガイは東南アジアからの交易で入手したものだったのです。ですから殷の人がタカラガイを探しに海に行っても手に入れることができなかったのです。
少し前でも貝貨が使われていた地域があります。例えば、インドネシアのある島では、遠くの海岸から険しい山を越えて運ばれてきた貝殻を使っていましたし、ソロモン群島の貝殻は、数百年前の貝殻を使うことで偽造防止を図っていました。
このように、貝がお金代わりだったころ、貝なら何でも良かったというわけではなかったのです。次第に人々は信用できるお金を求めて、鉄や銅などの金属製の硬貨に移行していきました。たしかに金属製の硬貨も偽造されることはありましたが、それは技術的に難しくコストもかかりました。そのため、“偽札”を作るのはさらに難しくなっていったのです。
ちなみに、殷王朝は“商”とも呼ばれています。そして殷の人たちは商人と呼ばれていました。殷では貝貨によって商業が盛んで、商売に携わる人も多かったため、商人は商売に携わる人を指すようになっていったのです。商人という言葉は殷から来ていたんですね。