貴殿のふとした疑問に答えるブログ

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両国駅って千葉方面のターミナル駅だったの?

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両国駅 3番線ホーム

今でこそJRは東京から放射線状に線路が張り巡らされていますが、開業当初は日本政府の資金不足が原因で、東海道本線となる新橋-横浜間しか開業できていませんでした。そのため鉄道を求める声が各地であがりましたが、線路を敷くことは出来ませんでした。その声に応えたのがお金を持っていた資本家たちです。彼らは次々に私鉄を作り始めました。

 

例えば、日本初の私鉄を作った日本鉄道は、上野駅をターミナル駅として現在の東北本線や高崎線、常磐線などの路線の多くを建設しています。甲武鉄道は現在の中央線のもととなった会社で、御茶ノ水駅を起点として八王子まで線路を敷いていました。

 

総武鉄道は現在の総武線を建設した会社で、東京側は両国駅をターミナルとしていました。両国駅と聞いても、国技館くらいしかイメージできないかもしれません。それもそのはずで現在の両国駅は総武緩行線だけが通る小さな駅だからです。ターミナル駅という感じは一切ないでしょう。そして隅田川の東が終点なので、微妙な感じもします。

 

両国が東京側の終点だった理由として、隅田川の西(浅草橋、秋葉原方面)がすでに市街地化されていて線路の建設が難しかったと言われています。その後、関東大震災で街が壊れてしまったので再整備した際に隅田川を渡ることができたようです。

 

今でこそ両国駅は総武線の途中駅ですが、数十年前までは房総半島へ特急を使う際の駅といえば両国駅でした。「しおさい」「あやめ」「すいごう」などの列車は両国駅から発着していたのです。

 

現在の1,2番線は総武緩行線が上下線で使用し、3番線は定期運用が無く閉鎖されているため人の立ち入りが出来ません。ときどき臨時列車専用のホームとして用いられるのみとなっています。十数年前までは毎日、新聞列車というのが3番線ホームから発車していました。しかし昔は6番線まであり、特急列車や団体列車などが両国駅から出発して大いに賑わっていたようです。

 

両国駅から10分ほど歩くと慰霊堂というのがあります。これは関東大震災で亡くなった方を慰霊するために建てたものです。この地域は被害が凄まじく、火災旋風から逃れるため多くの人が隅田川に飛び込んで亡くなりました。そのくらい地震の被害が大きく、周辺の建物を壊し、燃やしていきました。関東大震災によって、隅田川以西の市街地化で両国止まりだった総武線は、隅田川を渡り線路を延伸することができたのです。

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