越前、越中、越後、備前、備中、備後、豊前、豊後など一度は耳にしたことがあるでしょう。これらは昔の日本の地方行政区分です。他にも和泉、播磨、飛騨などありますが、国の名前に「上」「下」や「前」「中」「後」と付くものに関しては、いずれも都(畿内)に近い方が「上」や「前」になります。でも千葉県に関しては他と違い、畿内から近い方が下総(しもうさ)、遠い方が上総(かずさ)となっています。これはなぜでしょうか。
畿内からの移動が陸路であれば、千葉県の上部を上総にしたことでしょう。しかし畿内からの移動が船だった場合は房総半島(千葉県の南)が先に着くことになります。その後、上に北上するかたちになります。つまり西国からの開拓や移住は海に乗って始まったということです。
さて、千葉県は上総と下総のほかに「安房(あわ)」という国もありました。安房は房総半島の先っちょで、現在の南房総市や鋸南町、館山市や鴨川市など領域としてはかなり小さい国でした。それでも国として見られていたのは、海水産物を皇室や朝廷に貢ぐ御食国(みけつくに)だったからとも言われています。
御食国は若狭国(福井県)、淡路国(兵庫県)、志摩国(三重県)だったことが分かっていますが、安房国(千葉県)もそうだったのでは、と言われています。確かに安房は畿内から遠いので御食国だったという確たる証拠は無いのですが、黒潮が流れていて、温暖な気候の安房国は良質な海産物が獲れる場所ではありますので、保存がきくものであれば献納品として皇室や朝廷に出せたかもしれませんね。
そして安房は現在の徳島県の阿波国から船でやってきた人たちと言われています。読みも同じ「あわ」ですね。加えて、現在の和歌山県とも通じるものがあります。白浜や勝浦という地名は和歌山県の紀伊半島にもあります。それゆえ安房国には紀伊国からの行き来があったとみられています。方言が紀伊国や阿波国に共通するものがあったり、伝統的な漁の仕方も紀州で行なうものと同じであることからそのように言われています。
このように地名だけみても千葉県は海と深いつながりがある県だということが分かりますね。