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12月がわずか3日で終わってしまった明治時代に起きた改暦とは?

皆さんは日本がどの暦を用いているかご存知でしょうか。「えっ暦?太陽暦じゃないの?」その通りです。私たちは世界中で一般に用いている太陽暦、厳密に言えば太陽暦の一つでもあるグレゴリオ暦を用いています。太陽暦とは、地球が太陽の周りを1回転する時間を1年とする暦のたて方を言います。しかし、明治初期までは太陽暦ではなく太陰暦を用いており、その移行が大変でした。今回はその点を考えます。

 

太陰暦とは、月の満ち欠けによって1か月を決めるものです。いわゆる旧暦と呼ばれるものですね。農業や漁業に従事している人たちにとって月の満ち欠けを取り入れている太陰暦はなくてはならないものでした。太陰暦は19年に7回の割合で1年が13か月になるという今では考えられないものを採用していたのです。1年の日数が30日増えた年には閏月が設けられたのです。

 

日本はずっと太陰暦を用いてきたので、そのままでも良かったのですが、日本が世界に向けて開国したことで不便が生じました。欧米各国は太陽暦を採用していましたが、日本は太陰暦を使っていたからです。欧米諸国とは日にちが違ってくるのでやりとりが大変だったのでしょう。そのため暦も太陰暦から太陽暦に変えることにしました。当時の明治政府は国際社会の一員として西洋の制度を導入して近代化を進めていたため暦もその中に含まれていたのです。

 

そこで、明治政府は明治5年12月3日に太陽暦への移行を布告し、この日を明治6年1月1日にしてしまったのです。変更の発表は20数日前だったので、突然の変更に戸惑ったのは国民です。12月に入ったと思った瞬間、なんと元旦になってしまったのです。暦業者にとっても迷惑な話で、せっかく作った暦(太陰暦)が無駄になってしまったのです。

 

準備期間が無く、周知も徹底されていなかったので国内は混乱しましたが、これによって国際社会に肩を並べたと思ったことでしょう。福沢諭吉などの学者たちも合理的な太陽暦を支持しており、書籍を執筆するなど太陽暦を普及するために尽力しました。

 

今の私たちは太陽暦が当たり前ですが、暦を変える瞬間は大変だったことは言うまでもありませんね。その混乱があったおかげで私たちは何の疑問を持つことなく太陽暦を使えていることに今更ながら感謝したいと思います。

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