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日本でいちばん地位の高かった象の最期

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アジアゾウ

象は日本各地の多くの動物園で飼育されています。大きな体と大きな耳、そして何よりも長い鼻を用いて水を飲み、エサを食べるなど上手に動かしています。ゆったりとした動きや温厚な性格から大人から子供まで愛される動物です。

 

見ようと思えばすぐにでも会える象ですが、もし象が江戸時代にやってきたらどうなると思いますか?実際に8代将軍徳川吉宗の時代に日本にやってきた象の人生ならぬ象生を簡単に紹介します。

 

象の渡来を要請したのは8代将軍の徳川吉宗で、1728年にベトナムから雄雌2頭のアジア象が通訳と象使いとともに長崎に上陸しています。無事日本に着いたのは良かったのですが、長旅の疲れや風土の違いからなのかメスの象が早くも死んでしまいます。越冬したのちオス象だけが長崎を出発し、74日間をかけて将軍への謁見のため江戸へと旅を始めます。

 

人間の旅とは違い象が沿道を歩きますので、事前にお触れを出します。象が興奮しないよう牛馬の往来を避けること、大きな物音や寺院の鐘を鳴らさないこと、川を渡るために船を準備すること、飼料を準備すること、道路を整備し小石を除いておくこと、宿では大きめの厩舎を準備することなど、多くの指示が出されていました。

 

九州を出て山陽道をひたすら歩き、いざ京都へ入るにあたり、天皇と上皇に拝謁する際に無位無官では良くないという理由で、朝廷は象に「従四位」の位を与え、「広南従四位白象(こうなんじゅしいはくぞう)」と称するようになりました。それにより、そこいらの大名より位が上になってしまう現象が起きています。

 

長旅を終えてようやく江戸に着きます。これからがメインで、江戸城においては吉宗が象を観覧し、その他に徳川御三家や諸大名の屋敷にも引き回される人気ぶりでした。江戸の人々も象見たさに見物客であふれていたとのことです。空前の象ブームです。

 

しかしその人気も長くは続きませんでした。吉宗はすぐに象に飽き、将軍家の別邸である浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)で13年間飼育されています。象の飼育は他の動物とは違い重労働が伴います。現に気を荒くした際に象使いを殺してしまう事件もありました。また、象は大食漢なので食費もばかになりません。そのためこの象は中野にある源助という農民に預けられることになります。

 

翌年には繋いでいた綱を引きちぎって小屋を押し破る騒動を起こしています。まだまだ元気そうな象でしたが、同年病気にかかり、手厚い看護もむなしく21歳で死んでしまいました。骨と牙は源助へ与えられ、その後は中野にある宝仙寺納められることになりましたが、太平洋戦争の戦火によってほとんどが焼失してしまいました。

 

今回は、将軍のわがままでベトナムから連れてこられ、人々の見世物にされ、従四位の官位を与えられた象のお話でした。

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