どの時代にも戦(いくさ)というものは存在していました。少人数による小競り合いのようなものから、関ケ原の合戦や大坂の陣のように何十万人が動員される戦もあります。いわば命を懸けた戦いなので、どんな卑怯な手を使ってでも勝てばいいんだ、と考えがちです。確かにそうした考えを持つ武将もいましたが、とりわけ平安時代末期以降の武士の間には戦のルール、つまり作法が存在していました。
みなさんは「一騎打ち」という言葉を耳にしたことがあるでしょう。1対1で戦うのですが、「騎」という漢字が使われているように馬が関係しています。平安時代以降、日本各地に源姓、平姓、藤姓などに代表される大小の武士団が台頭していきました。それまでは集団対集団の争いでしたが、10世紀になると戦の行ない方が変わり、大将や主だった武士が馬に乗っていることが多くなりました。
普通であれば、大将は後ろの安全なところにいて戦況を見守るはずですが、この頃の戦のルールは違うようです。まず、互いの軍が到着すると、大将は自分たちの正当性を大声で主張します。続いて、自分たちの強さを敵に見せつけるために全員で一斉に鬨の声(ときのこえ)をあげます。それが終わると、両軍から音の出る矢を射合って戦の開始を知らせます。
ここまでくるとやっと戦いが始まります。両軍とも腕に自信のある武士同士が前に進み出て「やあやあ、我こそは…」と名乗り出て、馬上から弓で射合う一騎打ちが始まります。刀や槍で戦うわけではないんですね。
弓矢で決着がつかない場合はどうするのでしょうか。太刀で決着をつけます。場合によっては双方とも馬上から落ち、組み打ちになってしまうこともありました。勝った方は相手の首をとり一騎打ちは終わりますが、時にはさらなる一騎打ちが行われることもあったようです。戦い自体が一騎打ちだけで終わることもあれば、軍勢同士が戦い合う場合もありました。いずれにしても卑怯な振る舞いをしないというのが暗黙のルール、つまり戦の作法だったわけです。
こうした合戦におけるルールは平安時代末期から室町時代まで続いていきます。そのため戦国時代にはこの作法は無くなっていたため、大将は一番後ろに陣取り、最初に戦うのは足軽になっていたのです。