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関ヶ原はなぜ交通の要衝と言われているの? なんで関ヶ原で戦ったの?

関ヶ原

関ヶ原と言ったらほとんどの方は関ケ原の戦いをイメージすることでしょう。石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍が入り混じって戦うのですから、さぞ広大な土地が広がっているのだろうと思ってしまいますが、現地に行ってみると山の合間にあり、決して広がった土地というわけではありません。それでも関ヶ原は昔から交通の要衝と言われています。なぜでしょうか。

 

そもそも「交通の要衝」とはどういう意味でしょうか。それは「軍事・交通・産業のうえで大切な地点」を指します。先ほど、関ヶ原は山の合間にあると言いましたが、その通りで、北は伊吹山、南東は養老山脈、南は鈴鹿山脈に囲まれています。山脈が途切れて通行できる場所が関ヶ原なのです。つまりボトルネックになっているのが関ヶ原なのです。

 

ここは南北を山地に挟まれた盆地で、古来より近畿地方と東海地方や東国を結ぶためにはこの関ヶ原を通る必要があったのです。そういう意味で交通の要衝と言われています。

 

現在の関ヶ原には旧・中山道、国道21号線、国道365号線、名神高速道路、JR東海道線、東海道新幹線が通っています。これだけの交通インフラが平地の少ない関ヶ原に集中しているのは、山が迫っていて、東西を行き来するにはここしか抜けられないからです。

 

さらに、関ヶ原には日本海の敦賀方面と伊勢湾の桑名方面を結ぶ街道も通っています。国道365号線です。この道路は本州を最短距離で横断できる道でもあります。つまり日本海と太平洋を結ぶ南北の道路になります。この道と、中山道のような大きな街道が交差していることも、「交通の要衝」と呼ばれる理由です。

 

なので、現在においても関ヶ原が雪などで通行止めになると経済活動は大打撃です。新幹線が運休する主な理由の一つには関ヶ原の雪が挙げられます。名神高速も同様です。

 

つまり関ヶ原を自分の手中に収めてしまえば、戦略的にかなり有利になります。なので東軍も西軍もこの場所をとても重要視していました。ということで関ケ原の戦いではこの場所が必然的に戦場となっていったのです。ちなみに大正時代の初めには、東洋一とも呼ばれた火薬庫が関ヶ原の玉地区に作られました。外国との戦争を睨んでこの場所に作ったのです。そういった点では軍事上においても重要な場所だったとも言えますね。

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