貴殿のふとした疑問に答えるブログ

ふと疑問に思う「なぜ?」「どうして?」「〇〇って何?」に答えるブログです。

“恵比寿”ってめっちゃビールの街やん! 駅や町名まで支配してるし…

住みたい街ランキングでも上位に入る「恵比寿」。駅周辺には恵比寿ガーデンプレイスなどもあり、精練されたお洒落な街としても有名です。多くの人が知っている「恵比寿」はなぜ恵比寿になったのでしょうか。

 

恵比寿と言えば「ゑびす様」も連想できます。日本の神様の一つで、七福神の一人でもあります。右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱えて笑っている姿で知られています。恵比寿はこの神様からとられた地名なのでしょうか。半分正解です。

 

もともと恵比寿周辺に一つの会社がありました。その会社の名前は「日本麦酒醸造会社」というもので、現代のサッポロビールの前身になります。1889年にレンガ造りのモダンな醸造場が目黒村三田にできました。当時、この周辺は田園風景が広がっている場所で、今の恵比寿をみると想像しがたいですね。近くには日本鉄道(現在の山手線)が走っていました。

 

この醸造所で作っていたのが1890年に誕生した「恵比寿麦酒(ビール)」で、当時は「日本一のビールメーカーになる」ことを掲げ、「本物のおいしさ」にこだわり、本場ドイツから醸造設備や醸造技師まで呼んで、本格的なビール作りをスタートしました。恵比寿ビールは発売からすぐに良い評判を得たようです。ビールは鮮度が命と言われます。今でこそ瓶や缶など保存がきちんとでき鮮度も落ちずに出荷できますが、昔はそうもいきませんでしたので、首都の東京でビールを作るのは理にかなっていました。

 

1895年には恵比寿ビールの人気は高まり、工場を拡大するため目黒村と渋谷村(現在の渋谷区恵比寿)の用地買収をします。3万坪強の土地を所有するようになります。今の恵比寿の坪単価で計算するとだいたい1,500億円くらいの価格になりますかね。当時はまだ田園地帯だったので広大な土地を買収できたのでしょう。

 

その後1901年に恵比寿ビールを出荷するための専用の貨物駅が新設され、ブランド名をとって「恵比寿停車場」と名付けられました。5年後には旅客駅として「恵比寿駅」が誕生したのです。恵比寿駅の周りは次第に栄えていき、1928年には地名が恵比寿通1・2丁目と名付けられます。ビールのブランド名が街の名前になってしまったのです。

 

東京大空襲などで工場が罹災するなど困難がありましたが、その後も生産をし続け、1988年に恵比寿工場は千葉に移転することになりました。その跡地にできたのが恵比寿ガーデンプレイスオープンなのです。

 

このように、恵比寿はお洒落な街だけでなくビールの街として発展していったのです。工場があった当時は街中にホップの匂いがしていたんでしょうね。

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