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羽田空港の下には、戦時中の飛行機が眠っているってホント?

羽田空港といえば日本を代表する国際空港で、日本各地の空港とつながっています。羽田空港は1931年(昭和6年)に開港していますので、すでに80年以上の歴史がある空港です。皆さんの中にも羽田空港を利用された方が大勢いることでしょう。そんな日本でもトップの利用者を誇る羽田空港ですが、実は空港の下に、もう空を飛ぶことは無い飛行機が幾つも眠っていることはご存知でしょうか。今回はこの点について考えます。

 

時代は第二次世界大戦にまでさかのぼる必要があります。戦時中の羽田空港は羽田飛行場という名前でした。当然羽田飛行場も日本軍の軍事拠点として使われていて、軍用機や大量の兵器が空港内に保管されていました。

 

しかし日本が第二次世界大戦に負けると、日本は連合国軍最高司令部(GHQ)の占領下におかれました。それに伴い、羽田飛行場もGHQへ引き渡されることになります。羽田飛行場は日本に駐留することになったGHQ(とりわけアメリカ軍)が使用する基地となり、その後ハネダ・アーミー・エアベース(Haneda Army Airbase)と呼ばれることになります。

 

しかしこの当時の羽田飛行場の規模は大きくはなく、せいぜいローカル空港並の規模でした。そのためアメリカ軍は空港の敷地面積を広げるために敷地を拡張していきます。

 

拡張するにあたり飛行場周辺を整地していくのですが、近くに鴨池という池がありました。その池も埋め立てられることになりましたが、そこに日本軍が使っていた軍用機や兵器が投棄され、現在も羽田空港の敷地内の地中に埋まっているようです。

 

埋まっている軍用機の中に、日本で唯一の長距離飛行の世界記録を作った実験機「航空研究所試作長距離機」という名前が付けられていない機も含まれていました。名前が付けられていなかったので「航研機」という略称で呼ばれています。翼の部分が赤かったことから「真紅の翼」とも呼ばれました。貴重な飛行機が地下に眠っているんですね。

 

今回は、羽田空港の地下に何十年も眠っている軍用機についてのお話でした。多くの人は、地下に眠る飛行機の存在を知ることもなく、今日も飛行機に乗って羽田空港を飛び立っているのです。

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