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なんで滋賀県にはお城がたくさんあるの?

彦根城

滋賀県にある有名なものと言えば琵琶湖です。県の中心にある琵琶湖にはとりわけ多くの城が築かれていました。有名なものだけでも国宝の現存天守があり、「ひこにゃん」がいる彦根城(彦根市)、羽柴秀吉が築城した城下町が人気の長浜城(長浜市)。現在は城が残ってはいませんが、城跡なら安土城に観音寺城(ともに近江八幡市)、佐和山城(彦根市)、小谷城(長浜市)などがあります。歴史好きなら一度は聞いたことのある城名ではないでしょうか。

 

この滋賀県の旧国名は「近江国」と呼ばれていました。じつはこの近江には城跡が1300ヶ所以上あると言われています。たしかにグーグルマップを見てもたくさんの城跡がでてきます。では、なぜ滋賀県には城が多く作られたのでしょうか。

 

まず滋賀県の地理を考えましょう。滋賀県は日本のほぼ真ん中に位置しています。今でこそ日本の首都は東京でしたが、江戸時代より前は京都が都で、大阪の町も人で賑わっていました。それらの人が東に向かうとしたらほとんどが近江を通らなければなりませんでした。山が少なく平地が多かったからです。

 

そのため東海道・東山道・北陸道などの幹線道路が近江国を通っていました。江戸時代に入り徳川家康が整備した五街道のうち、東海道と中山道は近江国を通っています。琵琶湖も水運が活用されていたこともあり人や物が行き交っていたのが近江だったのです。

 

続いて歴史も見ていきましょう。戦国時代の近江国は京にも近く、多くの大名がこの地を狙っていました。もとから近江にいた六角氏、京極氏、浅井氏などはこの地に軍事的な防衛施設である城をたくさん築いていったのです。織田信長が畿内を掌握したころには、明智光秀に坂本城、羽柴秀吉に長浜城、津田信澄(信長の甥)に大溝城を築城させ、自身も安土城を作ります。これらの城は琵琶湖の周りに作らせることで、琵琶湖を手中に収めることができたのです。

 

加えて、琵琶湖の南にある坂本には穴太衆(あのうしゅう)という石垣を作るのに長けた集団がいました。それら穴太衆の協力もあり、近江国には城が次々と作られていったのです。

 

このように様々な要素が重なって、滋賀県にはたくさんの城と城跡が残っているのです。マイナーな城を巡って思いを馳せてみるのも面白いかもしれません。

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